神奈川県高等学校教育会館 教育研究所は 2020 年 11 月、
2020年教育討論会
教育の情報化
― コロナ禍に向き合う学校 ―
を開催しました。
この討論会では、法政大学の坂上旬教授から、デジタル・シティズンシップ教育の重要性が訴えられました。
坂上教授は NPO 法人カタリバの代表理事、今村久美氏が中教審で提出した資料を引き、旧来の「情報モラル教育」と「デジタル・シティズンシップ教育」とを比べながら、
情報モラル教育は個々の安全な利用を学ぶためのものであるのに対し、デジタル・シティズンシップ教育は人権と民主主義のための良き社会を作る市民となることを目指すものだ
としています。
以下では 2024 年7月、柏陽高校を巡って起きている事件と照らし合わせながら、具体的にデジタル・シティズンシップ教育の現在を考えます。
目次
校内集会で映し出されたスライドを撮影、SNS に投稿
2024 年7月4日(木)15:48、Twitter に、「クソキモくて笑ってる」というコメントを付けて柏陽生が1枚の写真を投稿しました。
その写真に映っているのは、体育館のステージ上に張られたスクリーンに映し出された1枚のスライドで、
夏休み、
スマホは1日1時間以内に
勉強は1日4時間以上に高校生にスマホ依存は最大の敵
という文字が躍るものです(強調は原文ママ)。
よくある校内集会の一場面であり、先生方が生徒のみなさんに望むことを伝え、それによって奮起する生徒さんもいれば、それに反感を抱く生徒さんもいるといったようなものです。
当該生徒の方は常日頃からスマートフォンを学習に用いていたようでもあり、反感を抱いたのでしょう。学校を風刺・批判する意図で投稿を行ったものと思われます。
デジタル・シティズンシップの観点から
SNS の隆盛により個人が発信力を持つまでは、生徒が学校内で疑問を感じた場合にそれに抗うことは非常に困難でした。
しかし近年、スマートフォンなどでエンパワーメントを受けた生徒たちが、その力を用いて自分たちの声を上げはじめました。
柏陽高校でも、カナガクが関知している限り、これまでに2回の理想的な成功例があります。
英単語 800 個×5回の書取課題、撤回に成功
2016 年の冬休み、英語科の先生方の一部が2年生全員に対し、英単語 800 個×5回の書き取りを課題としました。
生徒のみなさんは SNS 上でこれに大反発。職員室内で英語科の先生方の方向性が一致していなかったこともあり、この課題は撤回されました。
柏陽高校2年生が英単語800個×5回書取課題の撤回に成功
https://kanagaku.com/archives/22076
学校での内科健診における脱衣、撤回に成功
2022 年5月 11 日(水)21:04、Twitter で、ひとりの生徒さんが学校での内科健診についてツイートをしました。健診時に脱衣を強いられるといいます。養護の先生が校医の先生に抗議してくださったそうなのですが、校医の先生は脱衣による正確な聴診を主張して曲げません。
ツイートは一晩のうちに多くの人の目に触れることとなり、多くの保護者の方々も当該生徒さんに味方してインターネット上だけに留まることなく動きました。柏陽の先生方も奔走なさったと聞きます。
その結果、
セーター、カーディガン等はぬいでおく.
下着などはそのまま.
という形で翌日の内科健診が実施されました。
2022 年、熊本県の私立秀岳館高校サッカー部の事件
他県他校での極端な事例としては、熊本県の私立秀岳館高校サッカー部の事件を挙げられます。
校内(寮内)で監督・コーチが不適切な部活動指導を実施。それに反発した生徒が証拠となる映像や音声を校内(寮内)で記録し、SNS へと投げかけました。
これが多くの人の注目を集めた結果、最終的にはコーチが書類送検されるまでになっています。
熊本・秀岳館高サッカー部コーチが書類送検、SNS時代の告発劇が持つ破壊力
https://diamond.jp/articles/-/302590
デジタル・シティズンシップの実践は批判的思考を喚起する
秀岳館高校サッカー部ほど極端でなくても、生徒のみなさんが日々の先生方の指導に対して疑問を感じることがあるのは健全なことだと思われます。校内で適度な緊張関係が生まれることは、優れたシティズンシップ教育の芽となります。
デジタルではありませんが、たとえば横浜翠嵐高校における 2023 年の「六・一事件」は当該生徒のみなさんにとって――という以上にむしろ大人たちにとって学びが大きい一件でした。
翠嵐六・一事件、翠実総務は翠翔祭限定公開を望んだのか?
https://kanagaku.com/archives/65747
生徒指導で適切な発信まで委縮させることのないように
先の英単語課題や学校健診時の脱衣、「六・一事件」といった事例において、生徒のみなさんの動きは非の打ちどころのないものでした。一方、今回の校内集会のスライド撮影・投稿については賛否が分かれるものと思われます。
実際、今回の当該生徒さんには現在一連の生徒指導が行われている最中であり、当初のツイートは既に削除に追い込まれました。
しかし、柏陽高校はいわゆる校則(「学校生活全般」)のなかで、校内で撮影した写真を SNS にアップロードすることを禁じていません。また、そうした禁止事項を定めたソーシャルメディアポリシーを生徒のみなさんに示すことも、少なくともホームページ上では行っていない模様です。校内/学習活動用ネットワーク利用ガイドラインなどあるのかもしれませんが、校内/学習活動用ネットワークを通じての投稿かどうかは今回の主要な論点ではないでしょう。
おそらく今回の生徒指導は生徒指導基準(内規)に基づくものだと思われますが、当該生徒さんにとって事前に知らされていない規則によって指導を受けることは納得のいくものではないでしょう。また、今回のツイートが生徒指導の対象となることは、今後生徒のみなさんが校内で抱いた疑問を校外に投げかけることを躊躇させるものです。もちろん SNS に訴えることだけが生徒側からとれるアクションではありません。しかし、たとえば学校健診における脱衣のように時間的にタイトなケースではインターネットを用いたいわば「空中戦」は有効です。
スライドの内容、特に「勉強は1日4時間以上に」という先生方からの働きかけは、別に受験学年でもない高校生にとっては驚きだったことでしょう。いわばひとつの事件だったとも言えます。当該生徒さんはひとつの学校という狭い社会のなかから、一般的な学校社会において意義のある事件を他校のお友だちや私たちに Twitter を通じて伝えた、そしてそれが本当であることを示すために写真を添付した。これは声を上げようとしたときに採る行動として妥当であるように思われます。
散発する「#柏陽高校による表現規制に抗議します」
今回、当該生徒さんに生徒指導が行われていることについて、柏陽高校の、また他校のお友だちから、
といった発信が散発しています。
いじめに繋がるわけでもなければ、自身やお友だち、先生の個人情報が映り込んでいるわけでもない写真の投稿です。肖像権の侵害もありません。迷惑行為や法令違反を撮影しているわけでもありませんし、これによって当該生徒さんにどこからか危害が加えられたりする恐れもないでしょう。そもそも、職員室のなかでも先生方の間に生徒指導すべきかどうかに関する温度差があるように仄聞します。
生徒指導基準(内規)次第なのでしょうが、『高等学校生徒指導研修ガイドブック』等にも基づき、実りある生徒指導がなされることを(あるいはそもそも生徒指導自体がなされないことを)願っています。
広告
参考文献
神奈川県高等学校教育会館教育研究所,「特集 2020年教育討論会 教育の情報化―――コロナ禍に向き合う学校――」『ねざす』No67 4~ 21 ページ,2021 年5月発行.
http://www.edu-kana.com/kenkyu/nezasu/no67/067.pdf#page=6
- https://web.archive.org/web/20240709172356/http://www.edu-kana.com/kenkyu/nezasu/no67/067.pdf
坂本 旬, 今度 珠美,「日本におけるデジタル・シティズンシップ教育の可能性」『生涯学習とキャリアデザイン』,法政大学キャリアデザイン学会,2018 年 11 月.
https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00021444/sgcd_16_1_p3.pdf
- https://web.archive.org/web/20240709171029/https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00021444/sgcd_16_1_p3.pdf
- https://megalodon.jp/2024-0710-0210-30/https://hosei.ecats-library.jp:443/da/repository/00021444/sgcd_16_1_p3.pdf
認定 NPO 法人カタリバ代表理事 今村 久美,「Withコロナ社会において、いま検討すべきこと」,令和2年4月27日〔中央教育審議会〕初等中等教育分科会(第 125 回)特別部会(第7回)合同会議 参考資料1,https://www.mext.go.jp/content/20200427-mext_syoto02-000006819_11.pdf.
- https://web.archive.org/web/20240709173713/https://www.mext.go.jp/content/20200427-mext_syoto02-000006819_11.pdf
- https://megalodon.jp/2024-0710-0237-10/https://www.mext.go.jp:443/content/20200427-mext_syoto02-000006819_11.pdf
芳賀 高洋,「情報モラル教育からデジタル・シティズンシップ教育へ : 情報モラル概説」『メディア情報リテラシー研究』,2020 年3月.
https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00023070/mil_1_2_p16.pdf
- https://web.archive.org/web/20240709171334/https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00023070/mil_1_2_p16.pdf
- https://megalodon.jp/2024-0710-0213-35/https://hosei.ecats-library.jp:443/da/repository/00023070/mil_1_2_p16.pdf
高等学校生徒指導研修ガイドブック
https://www.pen-kanagawa.ed.jp/edu-ctr/kenkyu/seikabutsu/documents/24005seitosidouguidebook.pdf
- https://web.archive.org/web/20240709194714/https://www.pen-kanagawa.ed.jp/edu-ctr/kenkyu/seikabutsu/documents/24005seitosidouguidebook.pdf
- https://megalodon.jp/2024-0710-0447-12/https://www.pen-kanagawa.ed.jp:443/edu-ctr/kenkyu/seikabutsu/documents/24005seitosidouguidebook.pdf
関連リンク
『計画的に取り組む情報モラル指導』2010 年
情報安全の知識・技術の基礎となる、様々な場面での的確な判断力や望ましい態度を養うことが大切です。そのためには、「~してはいけない」という安全指導的な側面に偏ることなく、児童・生徒に「なぜ?」と問いかけ、理由を考えさせることによって、判断力を育成することが必要です。
神奈川県立総合教育センター,『計画的に取り組む情報モラル指導』平成 22〔2010〕年3月.
https://www.pen-kanagawa.ed.jp/edu-ctr/kenkyu/seikabutsu/documents/21004morarusidou.pdf#page=27
厚木清南高校「ネットワーク利用ガイドライン」
学校に関する情報等の漏えい(SNS で授業に関するつぶやきや動画の配信など)をしないでください。
神奈川県立厚木清南高等学校校内ネットワーク利用ガイドライン【生徒用】
神奈川県立厚木清南高等学校学習活動用ネットワーク利用ガイドライン
https://www.pen-kanagawa.ed.jp/atsugiseinan-h/hogosha/documents/network_guideline.pdf
個人の発信と著作権法上の「報道」とについて
- 【適法】報道である
弁護士法人内田鮫島法律事務所,「《写真の掲載が著作権法41条により適法であると認められた事例》【令和5年3月30日(東京地裁 令和4年(ワ)2237号)】」,https://www.ip-bengoshi.com/archives/6828. - 【違法判決】報道でない
弁護士法人内田鮫島法律事務所,「≪著作権「陳述前の訴状」事件≫【令和3年7月16日(東京地裁 令和3年(ワ)第4491号)】」,https://www.ip-bengoshi.com/archives/5766.