『心ってどこにあるのでしょう?』の読書感想文です。
分量は、題名・学校名・氏名を除き、400字詰め原稿用紙で2枚程度です。
目次
『心ってどこにあるのでしょう?』
広告
『心ってどこにあるのでしょう?』を読んで
神奈川 太郎
「心は……みえないけれど からだの いろんな ところに ある」のだそうです。それは本当でしょうか。
たしかに、「すきな ひとに あうと……むねも どきどきしたから 心は むねに ある」という気もちはわかります。昔の人たちは、こころは心ぞうにあると考えていたようです。
また、「あたまに あると おもう」という気もちもわかります。大きなじこにまきこまれて頭をやられてしまうと、心ぞうが動いていても、心はしんでしまうように見えます。そういう人からは、ほかの人に心ぞうがうつされたりします。
さらに、おくすりで気分がかわったりすることからも、心がからだにあるように思えます。
たとえば、ぼくはステロイドというおくすりをつかっていたことがあります。そのときはとてもハッピーな気分でした。
また、たとえば、ねむれない人がつかうおくすりのなかには、しんでしまいたくなる気もちにさせるものがあるそうです。
心はからだとつながっています。心とからだとは、ふつう、切りはなすことができません。
しかし、もしそうなら、こまったことがおこります。からだがしんでしまうと、心もしぬことになってしまいます。
ぼくもいつかはおじいちゃんになって、しんでしまうことでしょう。そのとき、ぼくのこころはどこにいくのでしょうか。
きっと、それまでおぼえていたことは、ぜんぶわすれてしまうでしょう。また、ぼくのせいかくもリセットされてしまうでしょう。
しかし、それでも、ぼくがぼくであることだけは、からだがなくなってもなくならないと思います。もししんだあと二回目にからだをもてるとしたら、それをもつのはぼくでしかありえません。そのいみで言えば、ぼくのこころはぼくの「からだの いろんな ところに ある」だけはありません。
参考
課題図書
青少年読書感想文全国コンクール 2019 課題図書が発表
https://kanagaku.com/archives/26628