『こだわっていこう』の読書感想文です。
分量は、題名・学校名・氏名を含め、400字詰め原稿用紙で3枚を少し上回る程度です。
目次
『こだわっていこう』
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『こだわっていこう』を読んで
神奈川 太郎
『こだわっていこう』はみじかいお話です。しかし、このお話の感想文を書くのはむずかしいように思っています。
お話に出てくるのは、主人公のえるくん、えるくんの友だちのそうまくん、せいせきがよく学級委員もしているかんなちゃん、そしてえるくんのお父さんとお母さんです。
そうまくんはときどき「こだわりスイッチ」が入ってしまう子です。そのそうまくんにたまたまケガをさせられてしまったえるくんは、お母さんにこう言われてしまいます。
「そうまくんとは、遊ばないほうがいいよ。」
そうまくんと友だちでいつづけたい主人公のえるくんは、どうすればよいのでしょうか――これが、お話の大きな流れです。
まずたしかめなければいけないのは、ぼくたちはそうまくんのような子をうけ入れなければいけないということです。ぼくのまわりのそうまくんたちは、よくイジメをうけています。それではいけません。
ただ、
「それならきみは、きみのまわりのそうまくんたちと友だちなのかい?」
ときかれたら、こたえにつまってしまいます。
友だちというのは、いっしょにいてたのしい子のことです。その「たのしさ」というのはグラグラとしたもので、Aくんがどんなにたのしい友だちだったとしても、それよりもたのしいBくんが出てきたら、Bくんのたのしさの方がまぶしく見えます。もしかりに「こだわりスイッチ」がある子とない子とから友だちをえらべるとしたら、ぼくはスイッチがない子の方をえらんでしまうでしょう。スイッチがある子といっしょにいて、イジメのまきぞえをくうのもイヤです。えるくんはきっと、いつか、そうまくんからはなれていってしまうでしょう。
では、ぼくたちは、そうまくんたちと、どういうふうにいっしょにいればよいのでしょうか。
ぼくたちの心のしぜんなうごきは、みじかな人をよりおおく、とおくのひとをよりすくなく愛そうとします。だから、たとえば、なかよしの友だちを大切にする一方で、ただのクラスメートのことはそれほどかんがえません。この心のうごきからそうまくんたちを愛することは、ぼくにできそうにありません。
しかし、ぼくたちのアタマはこうもかんがえます。みんなをおなじだけ愛するべきだ、と。もし道でこまっている人がいたら、たすけてあげるべきです。もっと言えば、イヤなクラスメートであっても、もしその子がこまっていれば、たすけてあげるべきです。このようなかんがえかたを「博愛」または「兼愛」などといます。
「博愛」のかんがえかたをもてば、ぼくたちはそうまくんたちといっしょにいられるでしょう。かんなちゃんがえるくんやそうまくんをたすけてあげているのも、この「博愛」のかんがえかたからのような気がします。
心をぜんぶゆるせる友だちにはなってあげられないと思うけれども、そして、何かえらそうな言い方だけれども、ぼくたちがそうまくんたちとずっといっしょに遊べるとよいと思いました。
参考
課題図書
課題図書 2019 夏のすいせん図書読書感想文コンクール
https://kanagaku.com/archives/27168