『子ぶたのトリュフ』の読書感想文です。
分量は、題名・学校名・氏名を除き、400字詰め原稿用紙で4枚ぴったりです。
目次
『子ぶたのトリュフ』
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『子ぶたのトリュフ』を読んで
神奈川 花子
わたしたちの生命のかけがえのなさは、けっして「役に立つこと」からくるものではありません。たとえ役に立たなかったとしても、生きているというただそれだけで、その命には価値があります。こうした考え方こそ、みんなが大事に守ってきた「はた」です。このはたを降ろすとき、わたしたちはただのケモノにもどってしまうでしょう。
たとえば、障がいをもった方々は、さまざまな会社がもうけを出そうとするときに、あまり役に立ちません。また、障がいをもっていない人たちによって助けられる必要があります。このことから、障がいをもった方々を「お荷物」と考える人たちがいます。「津久井やまゆり園」の事件は、そうした人たちの黒い心のカタマリが起こした事件です。事件の犯人は、わたしたちの「はた」を降ろしてしまった人でした。
黒い心は、わたしの心のなかにも巣くっています。運動会で勝ちたいときに、「あすなろ組」の子がいっしょだったら不利です。ついつい心のなかで舌打ちをしてしまいます。しかし、これは悪い心です。その子を切り捨てて勝ったところで、それが何になるというのでしょう。ただ自分が敵に勝つことだけを考えるのは、ただ自分の生き残りだけを考えているケモノと同じです。
人間は死んだ人間の肉を食べたりしません。死んだ人間を、きちんとお墓にうめます。お墓にうめたからといって、何か「役に立つ」ことがあるわけではありません。ただまだ生きている人たちにとってのコストになるだけです。それでもわたしたちは、亡くなった方を大切にします。「役に立つ」ことだけを考えるのであれば、お肉屋さんに行くべきところでしょうが、そうする人はいません。どうやらわたしたちは、まだ人間でありたいと思っているようです。
こうした考え方から『子ぶたのトリュフ』を読むと、物語全体がとても子どもっぽく感じられました。もちろん、悪いことではありません。作者のヘレン・ピータースさんの、動物が大好きで仕方がない気もちはとてもよく伝わってきます。
ジャスミンは農場で、生まれたばかりの子ぶたを助けました。その子ぶたはあまりに弱々しく生まれたので、役に立たないといって見殺しにされてしまうところでした。
ジャスミンは子ぶたに「トリュフ」という名前をつけて、大切に育てます。はじめは小さなトリュフでしたが、成長してくるにつれて、家で飼うには大変になってきました。家族から、トリュフを飼い続けることはできないと告げられます。
ところが、ある冬の夜、トリュフはジャスミンの家から逃げたモルモットを探し当てました。お父さんは「ぶたってもんは、おれが考えてた以上のことができる」と言って、トリュフを飼い続けることをゆるしてくれました。めでたし、めでたし……。
わたしに言わせれば、トリュフがモルモットを探し当てた、つまり、みんなの役に立ったからジャスミンといっしょに暮らし続けられることになったという部分が、あまりに子どもっぽいです。役に立つからいっしょにいられるという考え方は、とてもかんたんに、役に立たないからいっしょにいられないという考え方に変わります。
作者のヘレン・ピータースさんは、ジャスミンにトリュフと別れてほしくなくて、トリュフを役に立つぶたにしたのでしょう。しかしわたしからしてみれば、トリュフには、たとえ役に立たなかったとしても、生命はただ生きているだけで価値があるという姿を見せてほしかったです。
役に立たないぶたを飼い続けるのは大変なことでしょう。合理的でもありません。コストパフォーマンスは最悪です。それでも、そうした不合理のなかにこそ、人間であることの意地があるのだと思います。
参考
課題図書
青少年読書感想文全国コンクール 2019 課題図書が発表
https://kanagaku.com/archives/26628