『深海魚チルドレン』の読書感想文例です。
分量は、題名・学校名・氏名を除き、400字詰め原稿用紙で2枚半程度です。
深海魚チルドレン
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『深海魚チルドレン』を読んで
神奈川 花子
『深海魚チルドレン』は、母と娘の関係を扱った小説だ。私はこれまで、日本でこういう小説があることを知らなかった。
どんな動物でも、子どもはいつか親から一人立ちしなければならない。ヒトもそうだ。だから、私たちは「反抗期」(何て大人中心の言葉だろう!)を経て自立していく。私が小説に求めるのは、そうした「反抗」や、それによって起こる「不和」を、子どもの側から描いた物語だ。『深海魚チルドレン』は、まさにそうした物語だった。私はまるで、憩いの場を得たように、私の深海を見つけたように感じる。
私の周りを取り巻く消費社会は、浅い海だ。「連続テレビドラマの世界」のように「登場人物も観てる人たちも、軽くて安っぽい感情むきだし」であることを好む。とりわけ、「幸せな家族」についてそれは顕著だ。薄っぺらいドラマ。安っぽいイメージ。紋切型のオンパレード。そういった家族像ばかりを押し付けられて、パンクしてしまいそうだ。「子どもはママが大好き!」などと汚く書かれた女性誌の表紙を見ると、雑誌ごと破り捨てて燃やしたくなる。ママが子どもを大好きなのは勝手だが、子どもにママへの愛を「強制」しないでほしい。
だいたい、ずっと仲良しの親子など、私にしてみれば気持ち悪い。窮屈だ。親にはさっさと子離れしてほしい。棲むべき場所は、自分で作りたい。
『深海魚チルドレン』で唸らされるのが、心理的にグロテスクな長いワンカットだ。特にあの、最後に真帆と話す母親のグロテスクさは最高だった。
真帆と母親との対話は、まったく成り立っていない。真帆がどれ程必死に話しかけても、その言葉は母親に届かない。大人は、子どもの話など聞きやしないのだ。
子どもにとって、親は壁だ。絶対的な壁だ。子どもはその外に出られず、せいぜい「勝ち目のないたたかいを挑みつづけるしかない」。子どもは常に敗者だ。『深海魚チルドレン』でも、真帆は結局何も解決できていない。それがまたリアルで、甘いあきらめの感じを私にもたらすのだった。子どもは親にかなわないし、子どもの言うことは親に通じない。だから、あきらめる。あきらめて、暗く、冷たく、静かな深海へともぐっていく。
「深海にすむある種の魚は……仲間とコミュニケーションをとるために体の一部の器官が光る」という。私の安らぐ深海でも、どこかに光は灯るのだろうか。