古内一絵『フラダン』の読書感想文例です。
分量は、題名・学校名・氏名を除き、400字詰め原稿用紙で5枚ぴったりです。
目次
フラダン
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『フラダン』を読んで
神奈川 太郎
『フラダン』は、言葉を信じながら描かれた、強さと弱さの物語だ。そして、善意と悪意の物語だ。
強さがあるからこそ、私たちは善意を抱くことができる。また、善意に囲まれていればこそ、私たちは強くあれる。その一方で、弱いからこそ、私たちは悪意の奔流に押し流されてしまう。また、悪意に曝されれば、私たちは脆くも崩れ去ってしまう。
だから、私は強く善くありたいと思う。
しかし、この社会のなかで、そうあることは難しい。「この世は自分たちの手には到底負えないほど大きくて、深い悲しみと理不尽でできている」。私はひとりでは、その悲しみと理不尽とに抗うことができない。だから、私は誰かと手を取り合って歩みたいと思う。
ところが、誰かと一緒にいれば、「疲れるし、嫌な思いだってするだろうし、ときには諍いにもなる」。「どんなに頑張ったって、他の人の気持ちはやっぱり分からない」。無垢な善意を煩わしく思ってしまうこともあるし、自分の善意が受け入れられないことだってある。それぞれの思いがすれちがって、争ってしまうこともある。
しかし、だからといってそこで、誰かと共にあることをあきらめてしまってはいけない。狭くて理不尽で、弱さと悪意に満ちた世界に抗う力をくれるのは、誰かと握り合った手の固さだ。
だから私たちは、「もっと話すべき」なのだ。「つらい気もちも、悲しい気持ちも、……どうにもできない自分自身のいらだちも、もっと率直に言葉にするべき」なのだ。
言葉は、私たちのあり方と同じように、けっして万能ではない。しかし、それを尽くしていくことで、善意の連盟を結んでいくことができる。譲や詩織、マヤたちが手と手を取り合っていけたように。私は、言葉への信仰へと、自分自身を企投する。
『フラダン』の物語は、それぞれのキャラクターがそれぞれの役割を担って駆動する。彼ら彼女らの立ち位置は、基本的に常に明確で、勧善懲悪的な分かりやすさすら感じられる。その意味で、これはエンターテイメント小説だ。
善の側に立つのが、譲、詩織、マヤたちだ。宙彦や健一、大河ももちろんこちら側に入るが、彼らはコミカル要員としての役割の方が大きいだろう。一方で悪の側に立つのが、男子では松下を中心とする水泳部のメンバー、女子では由奈を中心とする「新メンバー」だ。
悪役が描きこまれるほど、物語は映える。終盤、マヤが過去の松下を思い出すところで、私は、膝を打たずにいられなかった。
「小学校のときの松下君て……なんかいっつもびくびくしてて、全然目立たなかったんだよ」
「でもね、だから私には、松下君って、いっつも大声で言えることを、必死になって探してるみたいに思えちゃう」
大声で「正論」を振りかざすような人たちに、私は常々怯えている。そういう人たちは「自分の言葉で喋れない」のだと、そして、「だから、松下君は、ずっと辻本君のことが怖かったんだと思うよ」とマヤに言われ、妙に納得し、安心する思いだった。
強がるのは、実際には弱いからだ。譲がいつも自然体で、善くいられるのは、譲が実際に強いからだ。
一方、譲に比べて、詩織はそこまで強くない。しかし、物語の前半を牽引するのは、その詩織だ。詩織にそれほどの力を与えているのは、周囲の善意である。老人ホームへの慰問の際、踊りで大失敗をしてしまったにも関わらず、アーヌエヌエ・オハナはあたたかく受け入れられた。その善意が、詩織に力を与えていたのだ。
『フラダン』は第八章の「仮設訪問」で、決定的な断絶を迎える。それはまるで、三月十一日の断絶をなぞるかのようだ。世界は、そのグロテスクな内臓を詩織たちに見せつける。絶対的な理不尽として姿を現す。
そこから、詩織たちの再起と結束の物語が始まる。オハナのひとりひとりが言葉を交わし、お互いの思いを確かめていく。怠慢や甘えで口をつぐみ、なにも話さなかった自分たちを脱皮していく。
詩織の過去、マヤの過去、健一が、大河が、アーヌエヌエ・オハナに入った理由……。そういったものが、ひとつひとつ解きほぐされていく。
そして、フラガールズ甲子園の舞台で、譲が詩織に呼びかける。
「綺麗なレイをあげましょう。踊り仲間のあなたに」
その誘いに詩織が乗ったとき、詩織の大きな瞳に輝きが戻ったとき、物語は大団円を約束する。そして読者はマヤと共に喜びの声を上げるのだ。
「キィイイイイェエエアアアアアーッ!」
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「フラダン」今回は、しばらく封印していた(?)ギャグを力一杯書きました。とにかく笑えます。でも笑いだけではありません。ラストは、彼らが、そして自分たちが乗り越えていかなければいけない厳しい現実を思い、身を引き締めて書きました。
はっきり言って自信作です!ご高覧いただければ幸いです— 古内一絵「蒼のファンファーレ」最終回 (@gunei19) 2016年8月18日
「フラダン」のプロットを作り始めた時、東京生まれの自分が福島出身の主人公を書くことに躊躇いがあった。転校生にすることも考えたのだが、編集氏から「地元にすべきだ」と助言を受け、覚悟を決めて書いた。後に福島出身の方から「地元でないから書けることがある」と言って頂き、救われた気がした
— 古内一絵「蒼のファンファーレ」最終回 (@gunei19) 2017年3月8日
情報が解禁されたようです。
拙作「フラダン」が、本年度の読書感想文コンクールの課題図書に選定されました😃 本作は震災五年後の福島を舞台にした物語ですが、大きなテーマの一つは「笑い」です。大笑いしながら、色々なことを考えていただけるように、心を込めて書きました。お楽しみください!! pic.twitter.com/rkIGW0ddLk— 古内一絵「蒼のファンファーレ」最終回 (@gunei19) 2017年4月4日
「フラダン」は震災をテーマにしていますが、当初から「笑い」で書きたいという気持ちがあり、実際に現地取材をするうちに、これは完全に「笑い」でいけるという確信を持ちました。デビュー作の「快晴フライング」以来暫し封印していたギャグを力一杯書いています。宙彦と浜子の破壊力にご期待ください
— 古内一絵「蒼のファンファーレ」最終回 (@gunei19) 2017年4月4日
参考
話題ネタ!会話をつなぐ話のネタ,「【フラダン】読書感想文あらすじ(ネタバレ)と 例文・オススメ度」, http://xn--5ck1a9848cnul.com/8926 ,2017年5月3日閲覧.