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『キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ〜』感想

『キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ〜』感想

 きっかけは Twitter のひとつの「いいね」でした。

 わたしは『歌集 滑走路』や、その著者である萩原慎一郎さんにシンパシーを感じており、慎一郎さんのお兄さまである萩原健也さんの Twitter アカウントをフォローしています。

 五月五日、健也さんがドキュメンタリー映画『キース・ヘリング 〜ストリート・アート・ボーイ〜』の感想をツイートしました。ツイートなので一四〇字もないものだったのですが、

 「八〇年代のアメリカの背景なども交えながら、キースヘリングのアートへの想いや生き様が描かれていて見応えがありました」

という一文を含むものでした。

 健也さんの目で観て「見応えがある」のであれば、きっとよい作品であるに違いありません。またその前後、わたしは近年のアメリカにおける世代間対立についてインターネット上でいくつかの文章を読んでいて「八〇年代のアメリカの背景」というところにも惹かれました。スマートフォンの Twitter クライアントから「いいね」のハートマークを送りました。

 翌五月六日、一通のダイレクトメッセージが Twitter 上で届きます。MadeGood Films の方からのもので、『キース・ヘリング 〜ストリート・アート・ボーイ〜』「オンライン試写会」のご案内でした。こうしたことは初めてのことだったので、まず信頼してよいメッセージかどうか――というところから考え始めます。ひとまずは、

 「メッセージを受け取りました」

という意図を込めて、「赤色のハート」で「反応する」ことにしました。

 すると翌日、再びダイレクトメッセージを頂きます。文面から、これは信頼できそうであり、六日の「反応する」という対応はかなり失礼なものだったのではないかと思い至りました。急遽九日の未明に返信をし、「オンライン試写会」に参加……。

 こうした経緯から、以下、ベン・アンソニー監督『キース・ヘリング 〜ストリート・アート・ボーイ〜』(イギリスBBC、二〇二〇年)の感想を綴っていきたいと思います。

キース・ヘリングについて

 わたしはこの映画を観るまで、キース・ヘリングについてまったく知りませんでした。萩原健也さんのツイートに「いいね」をつけたときも、キース・ヘリングをロックバンドのメンバーだと思っていたぐらいです(健也さんがギタリストである――ということを、この誤解についての言い訳にさせてください。ロックバンドのメンバーはキース・リチャーズでした)。

 それが、どうも映画を観てみると、彼は画家だったようです。

 一九五八年生まれのブーマーで、七〇年代後半の不景気のなかニューヨークで絵を学びました。ストリートグラフィティで瞬く間に名を上げ、八〇年代初頭からの好景気のなかで(商業的)成功を収めていきます。しかし若くしてエイズに感染し、一九九〇年に三一年間の短い生涯を終えました。

キース・ヘリングが生きた時代への妬み

 キース・ヘリングが生きた時代は、経済成長が著しい時代でした。特に彼が成功をつかんでいった時代はバブルの時代であり、若者がドラッグに溺れ、クラブで踊り明かすような時代でした。

そうした「成長」の時代に生きたブーマーについて、「停滞」の時代に生きるわたしは少しささくれだった感情を抱くことがあります。キースがもし現代に生きていたら、これほどの成功を収められたでしょうか。彼や彼の周囲の人々の享楽は、後の世代に負の遺産を残していないでしょうか。

 キースの絵は、まるで小さい子どもが描くマンガのようなスタイルです。思想的にも未熟に感じます。宗教的にあまりにも素朴であり、芸術的に欲求が昇華されているようにも思えず、空飛ぶ円盤からレーザー光線を撃たれるような絵など発想がばかげているようにすら思われます。

 こうした彼の絵は、好景気の時代だったからこそ売れたのではないかと邪推してしまいます。彼の生涯に触れると、改めてブーマーと(たとえば)エコー・ブーマーとの生きた時代の違いを考え、「世代間対立」について思いを巡らせてしまいました。

世代間対立を超えて

 しかし、そうした「世代間対立」の発想は、わたしたちの連帯を分断するものです。XからZ、αまでのどの世代の不遇も、他の世代いずれか全体のせいでもたらされたものではありません。また、どの世代も全体として世代間倫理を故意に無視しているわけではありません。

 キースの両親は、キースが子どものころに描いた絵を大切にとっておいています。父親はキースがマリファナを吸っていたことに関してコメントを求められたとき、我が子を思って少し口ごもったように見えました。親の世代のひとりひとりが子の世代のひとりひとりを――最も典型的には親が自分の子どもを――大切に思うのは、どちらかといえば「一般的」だと言って構わないでしょう。

 また、キースも親を大切に思っていたようです。彼が成功を収めたあと手に入れたお金を両親に渡し「喜んでくれる」と嬉しがっていたのは印象的です。保守的な町・家庭に生まれエキセントリックな道を歩んだキースも、親を大切に思っていました。

 わたしたち自身も、親や親世代に反発し、彼ら/彼女らが生きていた時代の「ボーナス」を恨めしく思うことがあっても、全的に自分自身の親を憎むことは少なそうです(できればゼロであってほしいと思います)。

 きっと「世代間対立」は煽られたものです。その道の先にあるものは幸福ではありません。急速な経済成長を遂げた過去の時代には、現在よりも劣悪なことも数多くありました。それらをひとつひとつ改善してきたのは、よりよい未来を願った過去の世代です。

 世代間で共有される理念があるはずで、わたしはそうした理念に基づいて、後の世代によりよい社会を引き継いでいきたいと思います。あるいは、自分が老いていった先に、弱々しい自分でもそれなりに幸せに暮らせる社会を実現していきたいと思います。

キースの絵を改めて見て

 そういった気持ちで改めてキースの絵をみていくと、彼が画壇に突き付けた挑戦状は美術史の重要な一ステップであるように感じられます。ドラッグの経験から得られたサイケデリックな感覚も、現在真似できないとはいえ容認できそうです。原始的なエネルギーに満ちた絵は、ジェントリフィケーション万歳の現代の風潮に対する破壊的な魅力を持っています。

 この映画はわたしに、これまで知らなかったキース・ヘリングという人物について教えてくれました。自発的には観ることがなかっただろうドキュメンタリーであり、貴重な視聴の機会を提供して頂いた MadeGood films のみなさまに感謝致します。


配給元 MadeGood films

MadeGood films
https://madegood.com/keith-haring-street-art-boy/

※ MadeGood Films (https://www.madegood.com/) から画像の使用許可を得ています。


参考文献

Twitter