神奈川大学では23日、給費生試験が行われました。日本史の大問1の解答速報は以下の通りです。
神奈川大‐給費生 解答速報 2019年度 日本史 大問1
〔A〕
問1 漢字の伝来
c 王仁
a 弓月君は、養蚕・機織を伝えたとされる秦氏の祖。
問2 中国の歴史書
b Ⅰ‐Ⅲ‐Ⅱ
Ⅰは『魏志』倭人伝。「和の女王」は卑弥呼。弥生時代。
Ⅱは『宋書』和国伝。「倭王武の上表文」。古墳時代。
Ⅲは『好太王碑』。「□□」は原典で欠けている部分。
問3 史料問題
a X-正 Y-正
B 島根県の岡田山1号墳から出土した大刀。
- 『山川 詳説日本史図録(第7版)』P32
「額田部」とは名代〔なしろ〕の民、それを管理する「臣〔おみ〕」の姓〔かばね〕を持つ豪族が、当時の出雲に存在していたことが、これにより明らかになった。
- 全国歴史教育研究協議会『日本史用語集 A・B共用 改訂版』P23
岡田山1号墳出土大刀
大刀には「額田部臣」の銘文がある。臣は姓、額田部は名代の一つで、6世紀には、氏姓制度・部民制〔べみんせい〕の整備が進んだことを示している。
問4 7世紀の政治
a 厩戸王(聖徳太子)は憲法十七条を制定し、豪族に管理としての心得を説いた。
b 山背大兄王一族を滅ぼしたのは蘇我入鹿。
c 改新の詔は白村江の戦いよりも前。
d 最初の完備した全国的戸籍である庚午年籍が作成されたのは天智天皇の下。
問5 律令国家の地方支配
d 鎮守府→大宰府
九州北部に置かれたのは鎮守府ではなく大宰府。
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問6 木簡
b X-正 Y-誤
Y 「文選」という古典の書名は見えない。「文選(もんぜん)」(531年)は日本文学に影響を及ぼした中国の作品。
岩波文庫の『文選』、清少納言が帯のコメント書いてる。 pic.twitter.com/epciGUlwyl
— 寧君 (@wom1995) 2018年8月14日
問7 『万葉集』の代表的歌人
c 柿本人麻呂
問8 平安時代初めに編纂された勅撰漢詩文集
b 『経国集』
a 『和漢朗詠集』(藤原公任(ふじわらのきんとう))1013年頃に成立。朗詠に適した漢詩文と和歌約800種を集録。
c 『懐風藻』751年に成立。現存する日本最古の漢詩集。
d 『性霊集』835年頃に成立。空海の弟子の新済(しんぜい)が編集。空海の詩・碑銘・書簡。
問9 平安時代の文学作品
c ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
cは鴨長明『方丈記』で鎌倉時代の成立。aは紀貫之『土佐日記』、bは紀貫之「仮名序」、dは紫式部『源氏物語』。
古典文学の中でいちばん好きなことばを書きました。桜丘高校「今日のことば」。紀貫之『古今和歌集』仮名序。歌は人のこころです。私が作った曲はYouTubeでお聴きいただけます。気がつけば2万3千回も再生されていました。いつか、NHKの「みんなのうた」になりますように。https://t.co/HM3LboCpxE pic.twitter.com/LYvxtT19Lu
— 千葉聡 (@CHIBASATO) 2018年5月30日
問10 国風時代の貴族の装束
a 1・3
1は束帯姿、2は奈良時代の朝服姿、3は女房装束、4は奈良時代の朝服姿。
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問11 10世紀の東アジア世界
c 朝鮮半島では高麗がおこって新羅を滅ぼした。
a 明の成立は1368年(日本では室町時代)。五代十国の興亡を経て趙匡胤によって創設されたのは宋。
b 926年に渤海を滅ぼしたのは契丹。渤海から日本へは渤海使が、日本から渤海へは遣渤海使が派遣されていた。渤海使は日本に薬用人参をもたらした。
d 朝貢関係の復活は日明貿易(1401年)。
問12 地頭の厳しい支配を訴えた文書
d B-2
A 二条河原落書は建武の新政の失政を鋭く批判・風刺した長詩。1334年または1335年。
1 問題文中に「片かな書きのたどたどしい筆致で」とあり、漢字を用いている1は不適だと分かる。1は「二条河原落書」。引用文中の「決断所」は雑訴決断所。
問13 後醍醐天皇が多用した文書様式
d 綸旨
a 太政官符は不輸の権を得るための文書。
b 院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)は院政期。院の所領などにかかわる内容で、院庁から下達された公文書。
c 院宣(いんぜん)も院政期。上皇に近侍する院司が、上皇の意向を受けて、自分を形式上の差出人として発給した文書。
「綸旨」は
此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨
という二条河原落書の冒頭で覚えるのがおすすめです。
問14 惣(惣村)について
a 惣(惣村)の指導者の乙名・沙汰人らは惣領と称された。〔赤字部分が不適切〕
惣領は武家社会において一族の結合体制の中心となる人物。一族の宗家(本家)の長。
問15 イエズス会宣教師
b X-1 Y-4
X 織田信長・豊臣秀吉らと親交をもち、『日本史』を著した。
Xはルイス=フロイス。
Y 大友義鎮らキリシタン大名に勧めて、少年使節をローマ教皇のもとに派遣させた。
Yはヴァリニャーニ(バリニャーノ)。
3 ガスパル=ヴィレラは1556年に来日し、将軍足利義輝の許可で主に畿内で伝導した人物。イエズス会へ手紙で堺の状況を報告している。
【参考】松原栄「堺キリシタン発達史試論」, https://stars.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2488&file_id=21&file_no=1
堺市市制百周年記念誌として発刊された”フェニックス堺”によれば、「宣教師ガスパル・ビレラは本国への報告書に、堺は〈東洋のベニスのごとし〉と記しました」