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『一〇五度』読書感想文例

佐藤まどか『一〇五度』読書感想文例です。

分量は、題名・学校名・氏名を除き、400字詰め原稿用紙で約5枚程度です。

一〇五度

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『一〇五度』を読んで

神奈川 太郎

 『一〇五度』は、進路をめぐる親と子の物語だ。夢を持つ中学生と、彼の前に立ちはだかる親。わたしは、イス作りを目指す真よりも、むしろ彼の父親の方に共感を抱いた。

 真はコンペで特別賞を受賞した。しかし、わたしも言ってしまう。

 「こんなコンペでおまけの賞をもらったぐらいで、いい気になるんじゃない。」

 それぐらいの実力では、将来食べていけないだろう。イスのデザイナーなど、世間でどれだけ求められているのか。もしその道に進んで「ダメだった」とき、どうするつもりなのか。吉野さんも言っていただろう、「仲間たちは、こぞって再就職に失敗した」と。

 イスに関わる仕事といっても、さまざまなものがあるのだ。デザインにこだわる必要もないだろう。真は高い学力を持っているのだから、まずは慶應大学にでも、東京大学にでも行って、そこから大企業に行け。とにかくまずは「つぶしがきく」ようにしろ。可換性が高いものを自分の周りに多く集めるんだ。学歴や、大企業の名刺、高い給料とふんだんな年間休日を手に入れろ。転職可能性、金銭、時間、そういったものがあれば、それを趣味のイスにつぎ込むこともできるではないか。だから、有名大学から新卒一括採用で大企業に入れ。そこでレールに乗るかどうかは、人生を大きく左右する。

 イスは趣味でやれ。仕事にしたら、もはや楽しめないかもしれないではないか。好きなことは、好きなことだからこそ、趣味でやるという選択肢もあるだろう。

 真の父親は、きっと苦労を積んだのだ。そしてその苦労の末に、いまの生活を手に入れた。その生活水準は、逗子や品川といった地名が象徴している。その生活のありがたみを全然知らない真に対し、ついつい強くあたってしまう気持ちはよく分かる。

 イスではきっと、日々のパンを得るのに精いっぱいだろう。必要となる金銭はライフステージを進めば進むほど増えていくが、稼得の増加はそのスピードに追い付かない。病弱な弟もいれば、介護が必要な祖父もいる。真がイスに現を抜かしているようでは困る。誰がいまの家族を支えているのか。父親だ。その父親も、いつまでも家族を支え続けられるわけではない。

 イスの道で働き始めれば、きっと、自分がどんどん取り残されていくような恐怖を覚えるだろう。イスを作るときには、「コンピューターで絵や図面を描いたり模型を作ったり」する。そこで使う「ソフトはどんどん新しくなる」。しかし、年を重ねれば「新しいソフトにもすぐに順応して」というわけにはいかないだろう。勉強しようにも「残業のない日はない」。「仕事が来れば断れない、休めない。仕事がなければないで、今度は開拓しに走り回るしかない。というわけで、いつもすごくいそがしい」。だから、自分の能力はどんどんと落ちていく。そして

 「若くて仕事の速い人のほうがいい。使えなくなると契約を切るしかない。経験を積めばいいという世界でもないしね。」

 ということになる。

 もはやわたしたちは、貧しい、「プロなき時代」に生きているのだろう。イスのデザインのプロに払える金などないのだと思う。そういうプロとして多くの人が生活していけるような時代は終わったのだ。「夢を追え」と無責任に言える時代は終わったのだ。わたしたちは貧しくなった。

 中学生に、何が分かるというのだろう。

 ただ、働き始める前が自分の能力を磨くチャンスであることは間違いない。その時期にイス作りの能力を最大限引き上げておけば……という気も、しないでもない。中学生のうちからイス作りに打ち込むライバルは、そう多くないだろうから。

 また、幸せになれる「哲学」があるのなら……という気も、しないでもない。幸福は金銭でないことを知っている。幸福は他者と自分との比較のなかにないことを知っている。虚栄心を捨てられる。小欲知足。もしそうした考え方が本当に血肉となっているのであれば、イス作りにチャレンジするのも悪くないかもしれない。もちろん、父親は「もったいない」と思い続けるだろうけれども。

 父親は真のためを思って、イス作りはやめたほうがいいと思っている。しかし考えてもみれば、これは彼が子離れできていないということなのかもしれない。真は真であり、その父親ではないのだ。真が何をしようと、究極的には、親には関係のないことだ。父親として言いたいことは山ほどあるだろう。しかし、親子とはいえ別々の、ひとりひとりの人間なのだ。結局のところ、お互い好きなように生きればいいのかもしれない。


参考

青少年読書感想文全国コンクール 課題図書2018 中学校


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