如月かずさ『ラビットヒーロー』の読書感想文例です。
分量は、題名・学校名・氏名を除き、400字詰め原稿用紙で5枚ぴったりです。
目次
ラビットヒーロー
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『ラビットヒーロー』を読んで
神奈川 花子
『ラビットヒーロー』を読み終えて、いちばん最初に思ったのは、
「どうやったら、みんなにこれを読んでもらえるだろう」
ということだ。
これはとてもよくできたエンターテイメント作品だ。ただ、そう思えるのは、これを読み終わったときである。この本をみんなに読み終えてもらうには、いったいどうしたらよいのだろう。
読み終えてもらうためには、まず、読み始めてもらわなければならない。しかし、これはどう見ても「子ども向けの本」だ。クラスの同年代の友人に薦めても、笑われてしまうだけだろう。だいたい私にしたところで、暇に任せて、たまたま手に取った本を読み始めただけだ。
また、たとえ読み始めてもらえたとしても、読み終えてもらえるかどうかも問題だ。この物語は、じっくり楽しむタイプのエンターテイメントだ。ケレン味にあふれた、ジェットコースターのようなものではない。だから、読んでいても、はじめのうちは、おもしろさがわからない。
はじめのうち、私はページをめくりながら、
「なぜこの本を読んでいるのだろう」
と不安になってしまった。この本は、私に向けて書かれた本なのだろうか。もっと小さい子ども向けの本なのではないだろうか。
また、
「この本は何のために書かれたのだろう」
とも思ってしまった。たとえ私の年代に向けて書かれた本であったとしても、テーマが変わるだけで筋はどれも変わらない、いわば「量産型」の本なのではないだろうか。他の作家がサッカーや吹奏楽で書いているものを、「ヒーローショー」で書いただけのものなのではないだろうか。それならば、何も読むには値しない。
しかし、そんな心配も、物語が終わりに向けて疾走し始めるやいなや、完全に吹き飛んでしまった。ページが残り少なくなってくると、それをめくる手が止まらなくなった。気づけば私は、目をうるませながら、物語のひとつの終わり方を期待し、実際にその通りになった最終行に大きな拍手を送っていた。
この本は、確かに読み始めで戸惑う本だと思う。しかし、読み終えれば、絶対に
「読んでよかった。おもしろかった」
という感想を持てるだろう。だから、どうにかして、私は、この本をみんなに読んでほしい。
なぜ私がこの本をおもしろいと思ったのか。それについて説明するべきだろう。
物語全体は、大筋はあるものの、小さなエピソードの積み重ねでできている。小さな問題が発生し、解決される。その繰り返しで全体が進んでいく。それぞれの小さな問題は、基本的には大きな陰とならずに、すぐに解決される。はじめのうちはそれに物足りなさを感じたりもするのだが、次第にむしろ安心感を抱くようになる。作者への信頼も生まれてくる。
登場人物への信頼も生まれてくる。男の子たちはみんな爽やかだ。佐倉さんも、しっかりとした女の子であり続ける。それぞれの人物の両親が物語から除外されていること、佐倉さんが宇佐くんの恋愛対象から巧みに外されていることも、私には好ましく思えた。ドロドロこってりとした味付けに、必ずしも真実やおもしろさが潜んでいるわけではない。
信頼は、期待へと変わる。残りのページが少なくなってくると、物語のひとつの終わり方が「見えて」くる。そう終わるべきだ。そう終わってほしい――という終わり方に期待が高まる。そして実際にその通りの終わり方をして、読者は満たされた気分と最高の読後感を味わう。
この本は特に、素直な物語が好きな、同年代の女の子に読んでほしい。宇佐くんとお兄さんの関係や、宇佐くんと日高先輩の「シンクロ」などは、おそらくそういう女の子の大好物だろうから。ウサギのヒーローと聞いて、
「そういえば、そんなヒーローが登場するアニメがあったなあ」
と思うような子であれば、楽しんで読めること請け合いだ。佐倉さんの小さな双子の弟も可愛らしい。
これはきっと、作者自身が、そういう女の子だからだろう。作者自身がそうで、自分にとっておもしろいものを素直に追い求めたからこそ、「そういう女の子に特に薦めたい」と、私に思わせる本ができたのだろう。
結局、私は、同じ所をぐるぐると回っているようだ。つまり、いかに『ラビットヒーロー』がおもしろかったかということを、手を変え品を変え繰り返しているだけのようだ。もし
「本当にそんなにおもしろいのか」
と興味をもったなら、ぜひ書店や図書館へと足を向けてほしい。
アイコンにしようと拙著『ラビットヒーロー』の宇佐の絵を描こうと思いたったのですが、人間の描きかたを完全に忘れていて挫折しました。最後に描いたのたぶん10年単位で昔ですからねえ。
— 如月かずさ (@ragi166) 2013年5月25日