2016年度「第62回 青少年読書感想文全国コンクール」の課題図書、『さかさ町』の読書感想文例です。
分量は、題名・学校名・氏名を除き、400字詰め原稿用紙でほぼ3枚ぴったりです。
さかさ町
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『さかさ町』を読んで
神奈川 太郎
さかさ町は、みんなが幸せになれるように作られた町です。しかし、ぼくはきっと、さかさ町には住めないでしょう。
さかさ町では、いろいろなものがさかさになっています。かん板の文字もさかさだし、家もさかさに建っています。弟や妹たちが好きな、「じゃあ、ぎゃくは?」の空想でできたような町が、さかさ町です。
しかし、でたらめな空想とはちがって、さかさ町でいろいろなものがさかさになっているのには、それぞれきちんとした理由があります。
例えば、ぼくたちがかかるお医者さんは、いつもぼくたちを長く待たせます。ぼくたちが予約をして、その時間ぴったりに行っても、です。それに比べてさかさ町では、待つのはぼくたちではなくお医者さんです。病気の人のことを考えて、さかさになっているのです。
さかさ町では、住んでいる人たちの幸せをいちばんに考えて、いろいろなものをさかさにしています。これに気付いたとき、ぼくは
「さかさ町ってすごい! ぜひ住みたいなあ」
と思いました。
ところが、リッキーとアンがアンストアーに行ったときのことです。
アンストアーは、大きなショッピングセンターです。リッキーはそこで、一本のバットがほしくなりました。しかしお金がありません。そのときに店員さんはこう言いました。
「このバットがほしいのなら、お金をはらうひつようはありません。むしろ、わたしたちが、バットといっしょにお金をさしあげるんですから」
さかさ町の人たちにとっては、「いいものをつくったり、そだてたりすることが、人生において、なによりのよろこび」なのだそうです。だから、自分が作ったものが他の人にいいものだと思われて、買ってもらえると、さかさまにお金をはらうのだそうです。
ただし、もしそうしたよろこびがどうでもよい、はたらかない人がいたら、
「社会になにも役だつことをしない人は、おもいばつをうけます」
と言われています。
これはずいぶん息苦しい町だと思いました。そして、さかさ町への思いが一気に冷めてしまいました。
ぼくも、いいものをつくれたときにはうれしいけれど、お金をはらってでもそれをだれかに「売り」たいとは思いません。それに、いつも「社会に役だつ」ことをしなければならないのであれば、ぼくがしたいことと「社会に役だつ」こととがずれていたらどうなるのでしょうか。
さかさ町は、ふらっとまよいこむくらいがちょうどいい町なのです。