2016年度「第62回 青少年読書感想文全国コンクール」の課題図書、『ABC! 曙第二中学校放送部』の読書感想文例です。
分量は、400字詰め原稿用紙で5枚目の半分ぐらいまでです。
ABC!曙第二中学校放送部
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『ABC! 曙第二中学校放送部』を読んで
神奈川 花子
私はこの本で読書感想文を書きたくない。この本を課題図書に選んだ人たちを、心から憎らしく思う。夏休みの国語の宿題で嫌々原稿用紙に向かっているのだけれども、これを先生に提出したくはない。なぜなら、私がこの『ABC! 曙第二中学校放送部』を読んで感じた気持ちを、誰にも毒されたくないからだ。
自分にとって一番大切なものは、誰にも薦めたくないものだ。一番大切なものは、自分の心の中だけにしまっておきたい。そのもの自体も、それへの気持ちも、他の人にいい加減に批評されたくない。だから、この本が読書感想文の課題図書になったことを恨めしく思う。そう思うほど、最後のページ、最後の一文字を読み終えたとき、興奮を抑えられなかった。
これは、私たち中学生の物語だ。大人が中学生に読ませたい物語でもなければ、中学生の皮をかぶった大人の物語でもない。だから私は、作者の市川朔久子が一九六七年生まれであることに心底驚いた。
私たちの物語には、多くの登場人物がいる。両親は重要人物ではない。大切なのは、クラスメイトや部活動の仲間たちだ。彼ら・彼女らとはだんだんと関係性を築いていく。クラスメイトであれば、四月からだんだんと。部活動の仲間たちであれば、入部してからだんだんと。四月には名前も知らなかった男の子が、三月にはすっかり仲良しになっていたりする。そんな私たちの物語が、この本には丁寧に、そして生き生きと描かれている。
私たちの物語の登場人物たちは、とても不器用で無様だ。いろいろとうまくいかなくて部活動を辞めたり、友だちだと思っていた相手に友だちだと思われていなかったり、お互いにいがみあっては汚い言葉をかけあったりする。そんな彼ら・彼女らをさらに無様にしているのが、その一生懸命さだ。
中学生は、いつも本気で考える。例えば、友だちのためを思えば、自分にできることが何かを必死で考える。けれども大抵の場合、一生懸命になればなるほどあだになる。大人なら、
「こんなことなら、一生懸命になるのをやめよう」
と思うのだろう。しかし私たちには、そう思うことができない瑞々しさがある。そんな私たちの瑞々しさが、痛々しいほど一冊の中に詰まっている。
古権沢先生は大人だ。型通りにしていれば何もかも上首尾にいくことをよく知っている。生徒指導にぴったりだ。彼の言うことをよく聞いていれば、いたずらに苦しむこともないのだろう。一方で、須貝先生は中学生と同じだ。型破りで、生徒のことを思ったら無邪気に突っ走る。古権沢先生の方を容赦なく悪役にした作者に拍手を送りたい。この物語は明らかに、私たち中学生のための物語だ。
私はよく、大人から本を差し出されて、
「これはとてもおもしろいから、ぜひ読むといい。」
と言われることがある。しかし、そう言われて読んだ本がおもしろかったためしがない。確かに良いことが書いてあるのだろうが、書き方が古臭かったり堅苦しかったりして、要するにつまらないのだ。私たちに心の栄養を与えようとしてくれていることは分かる。しかしそうであるなら、料理法を工夫してほしい。サプリメントの錠剤をどっさりと渡されて
「さあ、全部飲んで。栄養あるから。」
と言われても困るのだ。
その点で『ABC! 曙第二中学校放送部』を例えるならば、甘くておいしくて、食べ始めると止まらないスイーツのようだった。
クスッと笑わせるようなトッピングが、「暴投覚悟のキワキワのコース」を狙って随所にちりばめられている。私たちの大好物だ。ひとりひとりの登場人物の、キャラクター小説のような振る舞いもおもしろい。コミカルで、躍動感にあふれ、クライマックスで一気に引き込みにかかるまで物語を軽やかに運んでいく。かぎかっこを使ったり使わなかったりする独特の会話の描き方も、アイスクリームに添えられたペパーミントのように、味にアクセントを与えていた。
これは、私たち中学生の物語だ。中学生を描き、中学生の気持ちに寄り添った、中学生に読んでもらうために書かれた物語だ。
夏休みにこのような素敵な本に出会わせてくれた人たちに、心から感謝したい。