藤嶺学園藤沢中学校・高等学校への通学路にあたる「ふじさわ宿交流館」の案内板は、同施設が「藤沢広小路」の一角に建てられていることを伝えています。
案内板によれば、藤沢広小路は(「上野広小路」・「名古屋広小路」と並ぶ)日本三大広小路のひとつです(※江戸三大広小路とは異なります)。
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藤沢広小路
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藤沢広小路
広小路とは、もともと「火除け地」を意味します。江戸の街ではたびたびの火災で多くの人家が焼失したので、幕府は一六五七年の明暦の大火前から火除け地を計画していましたが、護持院の焼失(一七一七年)を契機に八代将軍徳川吉宗は、この地を火除け地とし、さらに江戸市中にとどまらず、各地の重要社寺等の門前にも設定しました。
藤沢広小路は、大鋸〔だいぎり〕広小路とも言われ、時宗総本山清浄光寺(遊行寺)門前の商家が櫛比していた場所に設けられました。この場所は人々の往来も繁く、各地に知れ渡って、日本三大広小路の一つとも言われていました。また、東海道五十三次の中では「三曲がり」としても有名でした。
ふじさわ宿交流館は、この藤沢広小路の一角に建てられています。
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ふじさわ宿交流館
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参考文献
八柳修之,「遊行寺前の桝形・広小路」,http://shonan-fujisawa.jp/sakamoto/spage4013.html,2021 年1月1日閲覧.