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『シンドラーに救われた少年』(レオン・レイソン)読書感想文例 高校

2016年度「第62回 青少年読書感想文全国コンクール」課題図書、『シンドラーに救われた少年』の読書感想文例です。

分量は、題名・学校名・氏名を除き、400字詰め原稿用紙で5枚ぴったりです。

シンドラーに救われた少年

シンドラーに救われた少年

シンドラーに救われた少年

  • 作者:レオン レイソン
  • 出版社:河出書房新社
  • 発売日: 2015-07-21

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『シンドラーに救われた少年』を読んで

神奈川 太郎

 ブレヒトは、戯曲『ガリレイの生涯』の中で格言を残した。「不幸なのは、英雄を必要とする国(Land)だ」と。シンドラーという英雄を必要としたナチスドイツは、間違いなく不幸な国だった。私たちは、再び英雄を必要とする時代を迎えることのないように努めなければならない。

 『シンドラーに救われた少年』は、私の心に二つの格言を想い起こさせ、一つの格言を刻んだ。

 想起させられた格言のひとつは、冒頭に挙げたブレヒトの格言である。想起させられた格言のもうひとつは、姉の学校の校訓、「神を信頼せよ。最善の自己に忠実であれ」というものだ。そして、私の心に深く刻まれた格言は、「英雄とは、『最悪の状況で、最善を為す』ごく普通の人間のことだ」という、本の中の言葉だった。

 「最悪の状況」を作り出すのは、巨悪であるとは限らない。ナチスドイツを作り上げたのは、決してヒトラーという一個人ではない。ヒトラーは、当時世界で最も民主的であると言われていたワイマール憲法の下で、合法的に政権を獲得した。ヒトラーを選んだのは、当時のドイツ国民に他ならない。

 当時のドイツ国民も、決してヒトラーの危険性を感じていなかったわけではないのだろう。しかし、世界恐慌や、第一次世界大戦の賠償金支払いなどによって経済的に追い詰められていた国民は、停滞する議会政治を見限り、彼の支持へと回っていった。経済政策で国民の心をつかんだヒトラーは、狂った世界の建設へと突き進んでいく。

 「最悪の状況」を作り出すのは、卑怯で怠惰で利己的な、「ごく普通の」弱い人々の群れだ。ヒトラーはその惰弱さのアバターに過ぎない。

 「人はパンのみにて生きるにあらず」と、イエス様はおっしゃった。しかし、私たちは今、それでもパンがなければ生きてはいけないのだと思い始めている。

 つい先頃、イギリスが国民投票でEUからの離脱を決めた。イギリス国内に流入し続ける移民によって、国民が生活水準を維持できなくなってきたことが一因だという。

 また、アメリカ大統領選挙では、トランプ氏が共和党の候補者指名を確実にしている。彼の主張の一つは、不法入国者の徹底的な排除だ。彼らによってアメリカ人たちの雇用が奪われ、生活が脅かされているのだという。

 私たちはいま、確実にパンに傾いている。ある人々は、生活が第一、そして、それを支える経済が第一だと、声高に叫び続けている。しかし、そうすることは「最善の自己に忠実」であることなのだろうか。

 私たちには、自らのパンをもちぎって分け与えることが求められている。少なくとも、そうすべきだという建前までかなぐり捨ててはならない。私たちが本当に欲しているものは、目の前のパンではないはずだ。その点で、私は「神を信頼」していたい。

 シンドラーは、時に弱く、時に無能な、ごく普通の人間に過ぎなかった。それは戦後の彼の姿からよく分かる。「戦時下に発揮した辣腕ぶりは、平和な時代の事業家には適していなかった。事業を起こしては失敗し、一度ならず破産した」。

 そんな凡人の彼に、ユダヤ人たちを救わせようと突き動かしたものは、彼の「最善の自己」に他ならない。自らの保身を考えるのであれば、彼の行為は不合理そのものだ。彼は、自己の利益を度外視して行動した。「最悪の状況」の中で、リターンがなく、最高にハイリスクな賭けをした。「最善を為す」ことが最も困難なときに、超人的な勇気を奮った。まさにシンドラーは、「英雄とは、『最悪の状況で、最善を為す』ごく普通の人間」であるという「定義そのものの人物」だった。

 シンドラーが英雄であればあるだけ、なぜそんな英雄が必要とされてしまったのだろうかと思わずにはいられない。「ごく普通の人間」たちが、「最悪の状況」を作り出す前に、なぜ各々の「最善の自己に忠実」になることができなかったのだろうか。

 「最善の自己に忠実」であることは、弱い人であればあるほど難しい。イギリスやアメリカで、移民や不法入国者によって真っ先にダメージを負ったのは、経済的に弱い人々だった。そうであればこそ、強い人々が率先してダメージを分け合う必要がある。また、弱い人々を弱いままでいさせないようにする制度設計も大切だろう。

 そして、その上で、何より大切なことは、「最善の自己に忠実であれ」という旗を降ろさないことだ。「どんな軍隊にも旗は必要だ」と書いたのは村上春樹だったろうか。信頼すべき神・理念・理想……、とにかくそうしたものを、決して諦めてはならない。卑俗な欲望の吐露や露悪への誘惑に、私たちは打ち克たなければならない。